自分が味わった苦労を同じように味あわせるのか
個人的な意見として、自分が味わった苦労というものは他人にも味あわせてしまう(味わってほしい)ものだと思っている。
炎上プロジェクトを乗り切っただとか、デスマを耐えぬいてなんとかリリースにこぎつけただとか。
こういう体験をすると、少なからず自分の中で「おれってすげぇ〜」みたいな自負が生まれる。
何が問題かというと、そういった人がリーダとなった場合。
同じような場面・状況に遭遇した時に
「あのときおれは〜」・「おれはやりきることができた〜」となって
同じように苦労を味あわせてしまうこと。
本人にとって、その苦労には価値があったのだろう。
だが、その苦労で得た価値は、他人にも価値があるのだろうか?
「こんな苦労はもうさせない」とは思わない。
苦労を知っているはずなのに。Where is 改善策。